自己紹介
(メールマガジンの2回目にも紹介中だが、もう少し長く)
仕事をしていても、家族との日常においても、
自分の事を(真面目だな)と思う時があるが、何故と疑問に思うことはない。
良くも悪くも宿命的に受け入れている。
1つは、父が警察官であった事で、幼い時から、そのように教育されたこと。
1つは、同じ環境で育った兄(私は双子で、その兄)も警察官になったこと。
1つは、息子が自衛隊に入隊し、ウクライナやイスラエルの戦後復興への意思を持ち、土木を学んでいる姿をみて、父と子の間の自分を感じたこと。
もうひとつある。
2024年の4月で私は50歳になる。
そんな節目の前、昨年の11月に父は他界した。翌月で80歳になる節目の前だった。
父は自分が生まれた3ヶ月後、つまり双子の男の子が生まれた3ヶ月後に、倒れた。
脳腫瘍だったそうだ。父はその時30歳。
即手術。頭蓋骨を切り、奇跡的に命は助かったが、言葉を司る脳も腫瘍と共に摘出。生涯上手に話す事ができない父となった。
それ以降も安心できる事はなく、突然のひきつけ・てんかんの発作で倒れることがあり、車の運転は祖父が担っていた。
姉3歳、兄0歳、自分0歳の3人の子供。
20代の母は、父が脳腫瘍で倒れた時、父の命がどうなるのか、助かったらどんな後遺症がのこるのか、どうやって子供達を育てればよいのか等、多くの不安に襲われて、悲しくて涙を流すことさえ出来なかったと言っていた。
関谷家の構図は、
身体が悪い父を、心配しケアする家族。
3人の子育てに加え、父の世話をしている母に、これ以上心配を掛けてはいけないと思う自分達。
母親の気持ちに配慮し、家族に迷惑をかけたり心配をかけたりしてはいけないという気持ち。
この幼い時からの環境が、今でも自分の事を(真面目だ)と感じさせていると思う。
だから、学校の先生の言う事はよく聞いた。
母に心配を掛けたくなかったからだ。
中学になったら勉強をきちんとし、
中学3年生になったら高校受験に向けて勉強をした。
生徒会もやり、
誰も勉強しなかった音楽や美術も、テストがあるという理由で真面目に学習した。
高校も自転車で7-8分、家の近くという理由で愛知県立瑞陵高等学校へ通った。
江戸川乱歩さん、杉原千畝さんが著名な卒業生だ。
高校生活も同じ。
中間テスト、期末テスをきちんと勉強する。
国語が少し苦手だったが、体育も音楽なども真面目にコツコツと取り組んでいたので、
通知表の平均が4.5。3以下はなかった。
通知表が良いと「指定校推薦」という枠がある話を耳にする。
受験で親に心配をかけたくないし、出来れば喜ばせたいという気持ちで、
その枠を利用して、明治大学理工学部建築学科に進んだ。
理数系は好きではなかった。
ただ建築は、歴史・芸術・デザイン等の分野も包括する学科なので選んだが、実際の気持ちは、母親に心配を掛けずに受験が終わる事の喜びが大きかったことを覚えている。
つづく(執筆中)